日本製紙グループの歩み
日本製紙グループは長い歴史の中で豊かな生活や文化の創造に貢献してきました。再生可能な木質資源を多様な技術・ノウハウによって最大活用し、総合バイオマス企業としての事業展開を進めていきます。
旧王子製紙 創業期
1873年(明治6年)

日本最古の製紙会社「抄紙会社」設立 渋沢栄一は、1867年の渡欧視察で日本の紙業発展の必要性を痛感していました。1872年、「製紙事業は西洋学問を応用すべき事業で、目前の利益は少なく十分な資力が必要。国家社会のために製紙業をおこすようにしてもらいたい」と、三井組をはじめとする金融業者に勧奨し、洋紙製造を目的とした「抄紙会社」を創立しました。資本金は15万円(現在の価値で数億〜十数億円と推定)で、三井組が出資の中心となりました。
1875年(明治8年)

王子工場の操業を開始 英国から当時日本最大の78インチ幅長網式抄紙機を輸入し、外国人技師チースマンとボトムリーを招聘しました。1874年に東京府下王子村で工場建設に着手。翌年の操業当初は紙切れが続くなど苦戦し、損失も資本金の三分の一に膨らみましたが、渋沢の甥・大川平三郎らの尽力もあり徐々に改善し、同年12月16日に開業式を執り行いました。
1876年(明治9年)
「製紙会社」と改称 大蔵省抄紙局の隣接開業に伴い、紛らわしさを避けるため社名を変更しました。
1877年(明治10年)
外国人技師が帰国し、大川平三郎が工場経営の責任者となりました。地租改正に伴う地券証への洋紙採用や、西南戦争による新聞需要増が追い風となりました。星野錫の尽力で朝野新聞社での採用を勝ち取り、新聞用紙の国産化が進みました。
1878年(明治12年)

大川平三郎が米国留学 大川は新たな製紙原料の研究のため欧米へ留学し、稲藁パルプや木材パルプの製法など技術革新を学びました。
1881年(明治15年)
藁パルプ製造を開始 大川の帰国後、藁パルプ60%とボロパルプ40%を配合した新式洋紙の生産を開始し、世間に大きな驚きを与えました。
1887年(明治20年)

日本初の木質パルプでの洋紙製造を開始 静岡県天竜川流域の気田工場で、木材を原料とした亜硫酸パルプ(SP)の製造を開始。外国製品に劣らない品質とコストを確立し、工場用地は都市部から水資源と木材が豊富な山間部へ移行しました。
1893年(明治26年)
商号を「王子製紙株式会社」に変更 大川平三郎が専務に就任しました。
1896年(明治29年)
新工場建設の増資に伴い、大株主の三井財閥が経営参加を要求。藤山雷太が専務に着任し、大川や渋沢は退任して三井財閥による経営へ移行しました。
旧王子製紙 興隆時代
1906年(明治39年)

北海道に進出、苫小牧に新聞工場建設 水害や赤字決算を受け、北海道苫小牧に一大新聞工場を建設(1910年操業開始)。しかし戦後不況で経営が悪化し、三井物産の藤原銀次郎が再建のため1911年に専務に就任。合理化と人材登用を進めました。
1914年(大正3年)

1914年(大正3年)からの第一次世界大戦と戦後の紙パ業界 大戦景気で中小製紙会社が乱立しましたが、戦後恐慌で存立困難に。王子製紙はこれらを吸収合併して事業を拡大し、富士製紙、樺太工業と共に寡占状態となりました。
1933年(昭和8年)
三社合併により「大王子製紙」誕生 拡張競争による生産過剰や不況、カナダ産ダンピングの打撃を受け、王子・富士・樺太の3社が合併(合併比率は王子100、富士145、樺太工業245)。国内シェア85%を占める世界的規模の「大王子製紙」が誕生しました。合理化により巨額の負債(当時3億円)を3年で完済し、昭和11年には資本金3億円の巨大企業となりました。
藤原銀次郎と社会貢献 藤原は私財や会社資金を投じて主要大学へ多額の寄付を行い、藤原工業大学(現・慶應義塾大学理工学部)や藤原科学財団を設立し、日本の科学技術振興に多大な貢献をしました。
戦後から、財閥解体
1949年(昭和24年)

財閥解体により十條製紙(当社)、苫小牧製紙、本州製紙に三社分割 戦後の過度経済力集中排除法により、旧王子製紙は解体・三分割されました。苫小牧製紙(後の王子HD)、十條製紙(当社)、本州製紙として発足。十條製紙は7工場と王子製紙研究所を引き継ぎ、初代社長・西済のもと民主的経営と生産増強に邁進。1952年には業界1位の生産高となりました。
日本製紙設立
1993年(平成5年)

十條製紙と山陽国策パルプの統合、日本製紙の設立 不況下の収益構造改善のため、業界3位の十條製紙と5位の山陽国策パルプが合併し、売上規模約7,000億円の業界最大手「日本製紙」が誕生。シンボルマーク「ダイナウェーブ」も制定されました。
新生・日本製紙
2001年〜2003年

経営統合と三社合併 2001年に大昭和製紙と経営統合し持株会社制へ移行。2003年には日本製紙、大昭和製紙、日本紙共販が合併し「新生日本製紙」として再出発。生産能力600万トン、売上高6500億円の洋紙業界トップ企業となりました。
2005年〜2009年
グローバル展開の加速 「グループビジョン2015」を策定し、2009年にはアジア・オセアニア市場への展開の一環としてオーストラリアンペーパー社の全株式を取得しました。
2013年(平成25年)

事業持ち株会社としての日本製紙が発足 厳しい経営環境を打開するため、事業持ち株会社としてフラットな組織へ転換。グループの一体感を高め、新たな成長性の創出を目指しました。
2015年〜2021年
総合バイオマス企業への転換 2015年に「木とともに未来を拓く総合バイオマス企業」というスローガンを定め、事業構造転換に着手。2021年には「2030ビジョン」を発表しました。


